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東京高等裁判所 昭和51年(ラ)549号 決定 1979年2月09日

抗告人 大和田清子

相手方 大和田輝彦

主文

原審判を取消す。

相手方と抗告人との間の東京家庭裁判所昭和四八年(家イ)第一、三三五号婚姻費用の分担調停事件につき昭和四八年三月一二日に成立した調停を次のとおり変更する。

相手方は抗告人に対し婚姻費用分担として昭和五三年三月一日より別居期間中一か月八万円宛を毎月末日限り(但し期限の到来した分については即時に)抗告人方に持参または送金して支払え。

理由

第一、本件抗告の趣旨と理由は別紙記載のとおりである。

第二、当裁判所の判断

一、記録によれば、次の1ないし8の事実が認定できる。

1、原審判理由二の1ないし19(原決定書三枚目表一二行目から五枚目表末行まで)の事実(但し同五枚目表八行目から九行目にかけての「申立人の上記行為とともに相手方の性格や行為もその一因をなし」を「申立人及び相手方の双方の性格の不調和と相手の気持を考えない行動が相まつてその原因を形成し」と改め、同五枚目表一一行目の「茶道の教授により」の次に「月額二万円の」を加える)。

2、相手方は、他人に対しては自分を抑えて感情をあらわさないが、抗告人に対しては自分の思うようにならないとすぐ腹を立てて暴行することがあつた。すなわち

(イ)、昭和四四年九月に玄関の近くで抗告人の目の下を殴り左顔面内出血で腫れ上がらせ三週間あざがとれないようにしたり、

(ロ)、昭和四五年九月には身体ごと抗告人にぶつかつてはね飛ばすことを数回繰返して身体中あざだらけにし、

(ハ)、昭和四六年一〇月には冷蔵庫の傍で頭と首筋を強く打ち首筋の爪の跡から出血させた。

(ニ)、昭和四七年一〇月二七日には、相手方就床後の午後九時頃抗告人がその隣に自分のふとんを敷き始めると相手方は敷くのが遅いと言つて怒り、隣の部屋にふとんを放り投げ、抗告人がまたふとんを戻して敷き直そうとしたら、抗告人に対し殴る、蹴るの暴行を加えた。

3、抗告人は、右(ハ)の暴行の際、裁鋏を持つて「これから暴力をふるつたら裁鋏を出します」と言つたところ相手方は手を挙げるのをやめたことがあつた。右(ニ)の暴行の際にも「乱暴を始めるなら刄物を出すから」「出せるものなら出してみろ」というやりとりがあつて前記引用の原審判理由二の9の抗告人の庖丁持出、相手方の家出、別居開始に発展した。

4、原審判理由二の5の別居の際は、抗告人が二度詫びに行つたとき相手方は受けつけようともしなかつたが、約二週間後抗告人を近くの公園に連れ出して「土下座して謝れ」と要求し、抗告人がこれに従つて詫びて、相手方に戻つてもらつた。間もなく相手方は、右事件を思い出すとくやしくてたまらないと言つて台所で炊事中の抗告人の頭を背後から突然強打したため水道の蛇口に抗告人の顎が当つて前歯二本の各一部が欠け下唇にくい込んで出血した。相手方はこれを見て「灰皿の件と帳消になつて気がすんだ」と言つた。

しかし、昭和四七年一〇月二七日の別居後は、抗告人が数回電話で詫びたが、相手方は、これを受けつけず、同年一一月七日東京家庭裁判所に離婚の調停を申し立てた。

5、相手方は昭和四七年二月に現住所のマンションを抗告人に黙つて買い求めた上、前記引用のとおり(原審判理由二の8)同年三月に協議離婚の申入れをしているが、この申入れに至る前、すでに昭和四六年一〇月頃から相手方は抗告人とは話をしないことにし、必要の場合には筆談の方法をとつており、同年一一月の第一ないし第三の各土曜の夜には外泊した(合計三泊のみであるが)ことがある。

恰度この昭和四六年一一月に、相手方は自己の経営する株式会社○○○商会の女子事務員高山節子に○○○○のマンションを借りて家財道具を買い与え、時々そこに行つていたことがあるけれども、相手方の外泊は三日だけであり、その関係は永続きしていない。相手方が離婚を決意するに至つたのは、同女との関係が直接の誘因となつことは否定できないが永年にわたる抗告人との性格の不調和による不満が主な原因で、結局相手方のわがままな性格から、抗告人との婚姻の継続に耐えられなくなつたからである。

6、このようにして、相手方の離婚の意思は昭和四六年一〇月頃から徐々に形成されて行き、昭和四七年三月に離婚の申入れが拒絶された後も、夫婦間には対話がなく、同年秋のオリンピックの夜のテレビ放送について、抗告人が生放送の視聴を希望し、相手方が健康に必要な睡眠のため翌日の放送を視聴するよう希望したような些細な意見のちがいも直ちにけんかとなる状態で、改善の機会を掴めないまま破局を迎えたのである。

7、抗告人は婚姻破綻について相手方のみに一方的な責任がある旨主張するが、婚姻以来の抗告人の言動を振り返つてみると、相手方は母親一人に育てられて生長したが、抗告人の父は海軍少将であつたし、その後妻(抗告人の継母)の実兄小川俊夫は○○○○株式会社の専務取締役であり、抗告人の親戚に○○製造販売業の「○○」の社長がおり、このような家柄の相違を抗告人が婚姻後二、三年のうちに持ち出したことがあり、相手方が株式会社○○○商会設立間もない頃に抗告人が商品の整理棚をひつくり返したり、相手方が取引先と電話しているときに抗告人が自宅の電話に切りかえてしまつたり、抗告人が相手方の実印をかくして銀行取引の妨げをしたことがあつた。このようなことから考えると、相手方の前記の数を重ねた暴行も、抗告人の性格、行動、態度が誘因となつて惹き起こされたものといえないこともない。

8、抗告人は、前記庖丁事件は、相手方の家出のための計画的な挑発で、危険性はなかつたかのように述べるけれども、抗告人もカッとなると前後の見境もなく相手方に灰皿を投げて頭部を負傷させた前歴があり、庖丁事件当夜及び昭和五一年一〇月一四日(昭和四九年(ワ)第一〇二一七号事件の原告本人尋問期日)に、長女幸子に対し、同女が相手方に「逃げてくれ」と言つたかどうか聞いているところからすれば、当夜は抗告人も興奮していたことが認められるから、危険がなかつたとは必ずしも言い切れない。

二、右認定の事実によると、当事者双方が別居するに至つた理由は、相手方夫が抗告人妻の勝気な性格と夫を立てない行動にしばしば腹を立てては暴行に及んでいた一方、妻は自己の行動を反省せず、あくまで夫と対等の立場に立とうとし、妻子のために毎日営々として働いている夫の気持を理解しようともしなかつた上、夫の暴行に対するに刄物を持つて対抗しようとした結果、夫がそのような妻に耐えられなくなつて家出したことにあり、妻にとつても別居の責任の一半を免れず、また別居以前においては妻は家族のための家事労働に従事していたが、別居後は夫と同居していた間のような家事労働はしていないものである。従つてこのような場合、婚姻費用を夫婦の双方に公平に分担させるためには、夫が妻に対し負担すべき婚姻費用の程度は、妻が単独で通常の社会人として生活するのに必要な程度で足り、夫と円満に同居し十分な家事労働をしていた場合と同一の生活程度を維持するに必要な程度であることを要しないと解するのが相当である。

三、右の通常の社会人として生活するのに必要な程度は、たとえば標準生計費、実態生計費などの公刊された統計資料により判断できるところ、抗告人の居住する東京都の場合についてみると、一人の標準生計費は、調停成立の年の昭和四八年五月三万九、三四〇円、同四九年五月四万九、二三〇円、同五〇年五月五万四、四七〇円、同五一年四月六万四、三八〇円(但し一八歳男子の場合。財団法人労務行政研究所発行の「賃金決定のための物価と生計費資料」に掲載された東京都人事委員会算出の世帯人員数別標準生計費による。同書昭和四九年版ないし五二年版。いずれも、右各標準生計費の中には住居・光熱費(昭和五一年四月は一万二、〇九〇円)がふくまれている。)であり、抗告人の年齢(昭和三年一〇月二一日生)と女性であることを考慮すると、右額より若干増額されるところ、抗告人は従前どおり相手方名義の練馬区○○○町の建物に居住して住居費の支出を要しないから住居費の額を減額すべきもので、結局抗告人が標準的な生活をするのに必要な生計費は右額とみることができる。抗告人は、前認定のとおり茶道の教授により月額二万円の収入を得ているが、茶道教授は衣服、道具等に費用がかかり、差引実質的な収入とはなり得ないものと解するのが相当であるから、調停により相手方の支払うべき婚姻費用五万円に住居費相当分を加えると、統計による昭和五一年度の右標準生計費にほゞ匹敵するといえる。しかしながら調停において当事者間で合意された金額が当時における統計による標準生計費を相当上廻つていることは本件における特別な事情として考慮すべきである。そして総理府統計局が昭和四五年を一〇〇とした消費者物価指数を人口五万人以上の都市について調べたものによれば、昭和四八年は一二四・一、同四九年は一五四・一、同五〇年は一七二・五、同五一年は一八八・五であつたこと、及び同五二年以降も物価上昇傾向が依然存続していることは公知のところであるから、このような物価変動によれば、既に前記調停できめられた額を変更すべき事情の変更があつたといわなければならず、その額は昭和五三年三月一日から八万円と定めるのを相当と認める。

四、よつて右と結論を異にして抗告人の本件婚姻費用の分担申立を却下した原審判を取消し、前記調停を右のとおり変更することとし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 岡松行雄 裁判官 田中永司 本村輝武)

抗告理由書<省略>

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